やれることをやる。
- 2015.11.07
- サッカーのこと
生まれもった才能。
わたしはそれを‘センス’と呼んでいます。
残念ながら、認めざるを得ません。
クラブチームやスポーツ校のような強豪チームは、このような選手たちを集めています。
しかしだからと言って、常勝とは限りません。
‘上手い=常に強い’とは限らないからです。
何事にもベースになる部分があって、それ+の大きさが強弱を決めるのだとわたしは考えています。
ベースになる部分とは。
努力によって補えるもの。
例えば走力だったり、身体の強さだったり。
例えばボールを止めたり、飛ばしたり。
そして体や気持ちの管理だったり。
ベースになる部分への取り組み方が、時に強者弱者を逆転させてしまうのではないでしょうか。
所謂、‘ジャイアントキリング’ということになるのだと思います。
わたしはこのブログを通して、うるさいほどに‘ボールへの寄せ’の大切さを言ってきました。
この地味なプレイにこそ、ベースになる部分への取組み度が如実に表れると考えているからです。
ベンツマーク校サッカー部は、ごくごく普通のサッカー部。
‘センス’のある子を集めているわけではありません。
意志さえあれば誰でもができるその努力が、原動力なのだと思います。
勝ち負け。
勝ち負けよりもその内容。
わたしも時にはそう思うことがあります。
‘敗れたけれど心に残る’というベンツマークイレブンの試合を幾つも観てきました。
しかし、選手たちはそんなことを考えていたのでしょうか?
まさかでしょう。
心に残る試合を展開してくれたイレブンたちは、間違いなく‘勝ち’たかったのです。
勝ちたいという気持ちがプレイに宿っていたからこそ、人の心に届くのだと思います。
初めから‘その内容’などという試合はないはずです。
人の持つ‘勝ちたい’という気持ち。
これこそが競技の原点だと思います。
そしてその勝ちたいと思う気持ちが、自分たちの最大の取り柄であるべき、そして最大の武器に成りうる地道なプレイを強く速く長く行わせたのだと思うのです。
心に残るのです。
響くのです。
先日の敗戦後のブログでわたしはこう書きました。
‘いや、勝つ気がないと言った方が良いでしょう。’
そういうことなのです。
わたしには残念ながら、響かなかった。
やるべきこと、やれることをチームとして遂行したとは思えませんでした。
敗戦後の次のブログで現高3・高2生の2012年度の戦績を並べました。
長男がいたこともあって、一番多く試合を観た二学年かもしれません。
思い入れも一番強かったことでしょう。
しかしその戦績を見れば、わたしが心ひかれた理由を分かって頂けるかと思います。
彼らは2011年秋の新人戦で支部には進めませんでした。
そして翌春区準決勝でも同じ相手に延長の末、敗れてしまうのです。
新人戦で目を覚まし、続くこの敗戦で誓ったのではないでしょうか。
‘やれることを必ずやる。’
わたしの勝手な憶測なのですが。
この試合の後、わたしの記憶ではその大会、そして総体と敗れるまで失点はしていません。
つまり春はこのあと都大会二回戦G星中学に敗れるまで、総体は同じく都大会二回戦東京C鮮中学に敗れるまでの区・支部・都の各試合で相手校に得点を許していないのです。
寄せる。
当たる。
奪う。
大して上手くもない彼らの意志とその地道なプレイの連続が、相手に得点を許さなかったのだと思います。
そしてそのプレイが尽きたときこそが、負けるときでした。
中学部の彼らがこれから自身をどう変えていくかは、わたしには分かりません。
けれども大切な部分、ベースの部分、ごく普通の生徒ができる最大の努力を心から願うのです。
今日も支離滅裂ですが、前回の補足として。
イレブンたちに実りある夏が訪れますよう。
がんばれ、ベンツマークイレブン。
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